オリンピックと紛争から30年程が経ったサラエボ(サラエヴォ)の現在。

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sarajevo_1984_150X1501984年に冬期オリンピックが開催され、その8年後の1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発したユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)の都市、サラエボ(サラエヴォ)。
その紛争により多くの競技施設が破壊されましたが、冬期オリンピックから30年が経った現在でもその施設の一部と紛争の傷跡が残っています。
複数の民族が生きる都市でオリピンックを成功させた後、その民族同士の対立で紛争が勃発してしまったサラエボ(サラエヴォ)です。

小さい字で「4年に渡る包囲戦により11000人以上が殺されました」と書かれてます。赤枠がセルビア人勢力による包囲網です。
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砲弾によって空いた穴の向こう側でBBQをする家族。
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こっちも砲弾による穴。
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ボブスレーコースの一部。
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保存状態のよいボブスレーコース。落書きだらけです。
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スキージャンプを見る観客の為の施設だと思われます。
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表彰台。
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スキージャンプの会場。
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施設に書かれた「UN」。UNと言えば国連(United Nations)。紛争時に国連の介入はあったようですが、これと関係あるかは知りません。
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スキージャンプ台。
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分かり難いですが、僅かな凹みは弾痕だそうです。大きな穴は運搬用の穴。
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